選手の可能性に気づかせるために、指導者は接する必要がある
選手が変わろうとしていないときに、どう指導していくかについて、岩谷篤人氏との対話からから考える。
例えば、スルーパスを出しないさいと言って、練習しているときに、前に立たれただけで出さない・・・
それは練習していない。前に立たれても交わして通す、それを練習している。
状況が悪い時でも、瞬時に何かをいれてやれるかどうか?その閃きを練習している。状況が悪い時こそ練習になる。
サイドアタックの練習をしていて、オーバラップしてきた3人目を使うことを練習しているのに、前に立たれただけで出さずに横パスに逃げる…「なぜ出さなかった?」「出せなかったです・・・」
ゲーム形式でやっていれば、出せないときがあるのはわかっている。
でも、出せる時だけしか出さないなら、それは練習しなくてもできることをやっているだけ・・・
ワンタッチで出せない時に、股の下を通すとか、浮かすとか、蹴るフリを入れてキュッと交わしてから出すとか、いろいろある、それを練習していく。
でも、また状況が悪いと出さない・・・
それを繰り返していても変わらない・・・
「いいボールを出せとは言っていない。走っているから出せと言っている。俺がサイドバックで走っていて、チームでそうしようと決めているのに、出さなかったら、俺はお前に怒るやろうな。」
「何回も走らせて出さない・・・チームでそうすると決めているのに・・・何回も空走りさせて・・・」
そのうちサイドバックが走らなくなる・・・チームが機能しなくなる。俺はサイドバックの代わりに、怒っている。
選手が、自分のできることしかやらないなら、
その先にある可能性を無駄にしていることを指導者は気づかせないといけない。
そうするうちに、無理な体制でも出せるようになっていく。
1ヶ月後に韓国遠征へ行くと、そのサイドアタックが止められない。どんな守備がきても、
ボール一個分の隙間を創って通せるようになっている。
状況の悪い瞬間に、どんな技術を出せるのかが練習
前に立たれて無理な体制なら、選手は出せないと思うに決まっている。
出せばOKではない・・・
出すのが練習ではない・・・
出しにくい瞬間に、自分はどんなことができるのかが練習。
そこで自分の技術を、瞬間的に出すのが練習。
こう話をしていても、試合の時に絶対に出さないといけないわけではない・・・
そういう気持ちを持っていたなら、試合の時に走っている選手がいて、出せなくて繋ぎ直したときに「すまん」とか言うようになる。
本当は、出そうと思っていたのが伝わる。そうやって、チームワークや信頼関係が育ってくる。
選手は「出さなかったぐらい、いいやろう・・・」「取られなかったから、いいやろう・・・」と思っている。だから、強い言葉で伝えないといけないときもある。
選手の可能性に気づかせるために・・・